牧千夏の話したいこと

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レビュー_大木志門『徳田秋声と「文学」』

徳田秋声と「文学」』(鼎書房、2021)を、大木志門先生よりご恵送いただきました。まずは、各章の内容をまとめます。

 

第1章 秋聲旧蔵原稿『鐘楼守』から見る明治の文壇

『鐘楼守』は、伊藤重治郎が下訳し、それを秋声が直し、尾崎紅葉の署名で出版したものです。残存する原稿は、伊藤の下訳に紅葉が少し手を入れたものであり、秋声は別の清書原稿に手を入れたと考えられます。

 

伊藤の下訳と秋声の手直し後とを比較すると、秋声は文章の彫琢を主眼にした手直ししたことが分かります。重要なのは、秋声に不似合いな文語調であることです。これは、言文一致の近代的な文体からは後退していますが、実質的な署名者である紅葉に、文体を似せたためだと考えられます。

 

第2章 「代作」から考える―紅葉・秋聲による雑報記事「臙脂虎」をめぐって

秋声は、代作文化に両面から関わった作家です。明治期の代作は、門内の相互扶助や工房的な慣習であり、当時は、現代と異なる感覚で捉えられていました。

 

雑報記事「臙脂虎」は、紅葉が書いたものを秋声が用いた、代作・共作といえます。ただ、これは雑報記事であるため、単純に代作や共作とは言えません。その後、紅葉は、この「臙脂虎」のモチーフを小説化しようとして頓挫しています。一方、秋声はこのモチーフに学んだ形跡があります。代作文化の生産性が分かります。

 

第3章「初恋」の女性と初期「家庭小説」

秋声の初恋の女性について、その性格と生涯が詳しく明らかにされます。

秋声の初恋の女性は、高い学識をもち、勝ち気な方だったようです。秋声は、その人と生涯を通して、長く断続的に関わっています。

 

秋声の小説に出てくるヒロインは行動的な女性が多いのですが、それは彼女を原型としているようです。こうした新しい女性をヒロインとしたからこそ、秋声の小説は、当時流行した家庭小説の枠からはみ出たことが指摘されます。

 

第4章 秋聲の「ニーチェ問題」再考

『換菓篇』は、病床にある紅葉への資金援助のために作られた作品集です。

 

ここに収録された秋声の作品は「出獄」です。「出獄」は、ニーチェ主義の影響が分かる作品で、人生の煩悶を描いています。同じく収録された小栗風葉「宇宙の目的」も同様に、人生の煩悶と自然への回帰を描きました。泉鏡花「薬草取」には、紅葉と対立した恋愛問題が描かれていました。

 

そうした意味で『換菓篇』は、紅葉を慰めるものであると同時に、紅葉の文学的方法に反発しています。これはこれからはじまる自然主義文学の、前段階のあり方を示しています。

 

第5章「自然主義」と「私小説」が交差するところ

明治40年初頭、『蒲団』が文壇で好評だったことを受けて、秋声は自己表象的な作品を書くようになりました。このとき、文体としても転換点があり、「る」形で迫真性を出す文体から、「た」形に変わり過去の事件を語り直す文体になりました。こうすることで、現前性を失い、対象との距離ができ、外面的な描写となります。

こうして秋声は、自己表象性を高めるなかで独自なリアリズム文体を確立させました。

 

第6章 徳田秋聲田山花袋における「文体」の生成

田山花袋は、美文・紀行文由来の一人称から、自己表象のための三人称に移行しました。秋声は「蒲団」の発表以後、自身と周囲をモデルにした短編小説を書き始めます。

 

同時期、虚子が錯時法を用いた写生的な描写を先駆けて行っていました。こうした文体は、花袋や秋声にも共有されます。写実では飽き足らず新たな文体を探ろうとした3人の試みは、「私」を描くという試みと並走したと考えられます。

 

第7章「お化」を出さない文学―秋聲と鏡花から見る日露戦後の文学

鏡花と秋声は、自然主義興隆の前後には、悲惨小説・深刻小説・観念小説的な作品を書いていた点で共通する部分がありました。その後の2人の動向は複雑です。鏡花は怪異を描いた小説で先に文壇の評価を得ます。秋声はその後自然主義的な「黴」で評価を得ます。これは文壇が自然主義的な小説を評価するようになったためで、そのために鏡花の評価は下がります。

 

しかし鏡花も「女客」というモデル小説・私小説的な作品を書いていました。しかも時期としては秋声に先駆けたものです。秋声も、鏡花のそうした小説を私小説的に読み、強く意識していました。

 

その後鏡花は、また怪異の方向に再転換させるが、それは文壇で、新ロマン主義やシンボリズム、漱石の登場によって、反自然主義的な流れができたからでした。


第8章「黴」の中の「リップ・ヴァン・ウィンクル

「黴」は、単行本化する際、第68回が削除されていました。第68回には「リップ・ヴァン・ウィンクル」が、主人公の心情に重なるかたちで引用されます。「黴」と「リップ・ヴァン・ウィンクル」は、2つの共通点があります。

 

1つは、家庭が嫌になり野山に逃げるというプロットです。しかし、これはプレテクストがない方が、リアリティが増すため、私小説的な評価のためには不要です。

もう1つは、出奔先から帰ると風景が一変していることです。これは「黴」の場合は主人公の文壇的評価が一変していることですが、これは当時秋声が時勢が変わったことで一挙に文名を挙げたことを強調させます。

こうしたことから、第68回は秋声によって意図的に削除された可能性が指摘されます。


第9章「非常時」の〈文学館運動〉と秋聲、藤村

物故文芸家慰霊祭・遺品展覧会(1934)と同時に、文学資料を保存・継承するための文学館の建設が検討されていました。文学資料が集客を見込める価値あるものとして見なされたことと、散逸の危険があることが認識されたためです。

藤村はこの主唱者でしたが、遊就館靖国の資料館)にヒントを得ていました。さらにそれはナショナリズムを基底にした博物館建設ブームと軌を一にしたものです。

 

そのため、こうした動きは、自国の歴史を正典化しようとした文脈に位置づけられます。そのなかで藤村は積極的に制度や施設を作る側に回り、文芸統制に抵抗しつつ、文学者側に有利になるようにもつとめていました。


第10章 文学の「記憶装置」としての「家」

子規庵は、子規の死後、建物と資料の保存・遺族の援助という目的で、保存会が結成されました。保存会は、財団登録して子規庵の土地購入や改修などを行い、当時の文化政策や旧宅保存の運動に後押しされることで事業を進めました。ただ、資金集めのために重要な資料が販売・流失させましたが、それでかえって、保存に至れたともいえます。

 

一方漱石山房も、漱石の死後、保存が検討されました。しかし、鏡子夫人は資金繰りにも保存にも協力的でなく、保存案で小宮豊隆と松岡譲とが対立し、その後も計画倒れが続きました。

 

秋声の居宅は、資料疎開、史跡指定などを経て一穂が保存に取り組み、こうした苦労から重要な資料が残りました。

こうした居宅保存の動きは、文学を社会的に登記する運動の一部であり、そうした意味で政治性をはらみます。

 

感想

大変面白かったです。私は宮沢賢治という作家を中心とした研究をしています。当書も作家を中心とした研究であるため、私はとても面白く勉強になりました。

 

秋声の作風や作品の内容が成立する過程が分析された第2・3・4・8章をとくに面白く読みました。代作・初恋・資金援助・周囲の評価など、そうした秋声を取り巻く状況が、創作に深く関わっていたことが分かりました。創作する秋声の姿が立体的に伝わってきます。秋声を入り口に、同時代の文学に関する常識や慣習も見えてきます。

 

作家を中心に研究していると、ある作品が生まれるまでに、文壇または政治の状況ばかりでなく、偶発的個人的な事情が深く関わっていることが分かります。またその成立過程を追うなかで、当時の人々の考え方や行動が、いきいきと浮かんでくるときがあります。そうした作家研究の面白さを当書は高いレベルで伝えてくれます。

 

もちろん、第9・10章も面白かったです。文学館や居宅保存をめぐる政治的・経済的な文脈が分析され、氏の手つきの手堅さに学びました。

 

ご学恩に感謝します!