牧千夏の話したいこと

読んだ本や考えたことを勝手に紹介しています。

AIは自動化し、人は自律して生きる_『生命知能と人工知能』

高橋宏和『生命知能と人工知能 AI 時代の脳の使い方・育て方』(講談社、2022)を読みました。

 

一言で言えば

AIの合理的でパターン的に知性を人工知能/人間の無駄のある創造的な知性を生命知能、として、脳の仕組みとこれからの知性のあり方が語られます。エンジニアの視点で書かれている点が、本書の特徴のひとつです。

 

もう少し詳しく

人工知能と生命知能

  • 筆者がたどり着いた結論を一言で記すならば、現在の人工知能は「自動化」の技術です。一方で生命知能は「自律化」のためにあります。両者は決して対立する気はありません。実際に私たちの知能には、人工知能的な性質と生命知能的な性質が共存しています。しかし現在の人工知能は、生命知能的な性質をほとんど持ち合わせていません。_27ページ
  • これまで日本社会は、いい意味でも悪い意味でも人工知能化され、発展してきました。しかし現在、日本社会の人工知能化は終焉を迎え、多様化が始まりつつあります。そして筆者の考えでは、これからも多様化する社会では、生命知能が必要とされるでしょう。_37ページ

 

このことは、西垣通氏の「生命情報・社会情報・機械情報」や諸富徹『資本主義の新しい形』でも、指摘されていました。人工知能は、パターン化(ルール化)されたことを速く正確に行うのが得意で、われわれの生命知能は、自律的に考え創造的なことが得意だということですね。

 

脳の多様化と選択

  • 生物の原理原則を考えると、「考える前に試しなさい。失敗してもいいから」という大らかさが、脳のメカニズムには合っている(合脳的)と筆者は考えています。ただし、中立進化説の概念(遺伝的浮動で多様性を徐々に増やしつつも。重要な情報は決して変えない仕組みが生物の進化を支える:引用者注)も忘れてはなりません。定石や暗黙知、そして決して試してはならないことを。徹底的に頭に詰め込む勉強も軽視してはならないと思います。_77ページ
  • 生物が何らかの問題を解決するとき、その基本原理はダーウィニズムにあると筆者は考えています。ダーウィニズムの原理は、2ステップの学習でした。すなわち、多様化と選択です。_155ページ
  • そして、ラットの賢さは少なくとも二つの軸で説明できるのではないかと思うに至りました。すなわち、最初に試行錯誤する能力とその経験から適切な解を見つける(最適化する)能力です。無駄を作り出す能力と無駄を省く能力と言い換えてもいいかもしれません。_157ページ

私にとって興味深かったのは、このことがダーウィニズムをもって説明されたことです。試行錯誤して無駄なことをして多様化したあと、もっともよい方法を選択するというのは、ダーウィニズムなのですね。このことは、よく言われる「選択と集中」とは異なります。これは、合理化や省コストかが目的にのスローガンだと理解していますが、ここでいう多様化と選択は、まずは無駄なことをして試行錯誤することが大切だと言われます。選択をするにしても、まえの多様化の段階が重要だというわけですね。

 

脳の仕組みと、それに規定される意識のあり方

  • エネルギーの観点から、情報は安価でないこと、そして特に電気信号で表現される情報はとても高価であることを理解していただけたと思います。しかし脳からすれば、エネルギーのコストを払ったとしても、電気信号には速いという圧倒的なメリットがあります。このようなトレードオフと戦いながら、脳はなんとか情報処理システムとして動作しています。/一方計算機の場合、脳と比べればエネルギー効率をほとんど度外視し、決して誤動作を起こさないように設計されます。ここに脳と計算機の決定的な設計戦略の違いがあるとは考えています。このような設計戦略を考えれば、私たちの脳が計算機とは異なり、高速かつ高精度な計算や情報処理を苦手とすることも理解できるのではないでしょうか。_92ページ
  • 私たちの脳は、ぼーっとしている時も活発に動いています。生きている限り、この自発活動を求めることは決して出来ません。一方で私たちが「考える」と呼んでいる行為は、必要に応じてなく活動を呼び出しているだけかもしれないということです。_132ページ

脳は化学反応を利用しているため、一定の温度である必要があります。その温度をたもつため、自発的に活動しています。そして化学反応によって電気信号をつくりそれによって情報を伝えます。こうした脳の仕組みは、私たちの意識のありかたを規定しています。

意識も因果も後からつくられる

  • リベットらは衝撃的な結論に到達します。脳では、意識の内容とその時刻が別々に扱われ、最終的には意識の世界で統合されるというのです。/意識の内容が作られるためには、500ミリ秒くらいの処理時間を要します。一方で、時刻を記録するのは誘発電位です。誘発電位が、いわば「タイムスタンプ」として働き、意識の世界での経験では、時間が補正されます。このタイムスタンプ方式のおかげで、私たちの意識の世界では、20ミリ秒くらいの時間遅れで、現在起こっていることを経験できるのです。_243ページ
  • 自分が指を動かそうと思い、脳が動き出し、指が動くのではないのです。実際には、脳が動き出し、動かそうと思い、指が動くのです。おそらく脳による行動プログラムはすでに無意識的に起動していて、その後、「動かしたい!」という意識的な意志が生じるのです。ということは行動プログラムを起動したのは誰でしょうか?/自分の意思とは関係なく、行動プログラムは起動しているのです。_247ページ
  • これにより(脳の巨大化:引用者注)2つの問題が生じました。第1の問題点は、本来なら、全ての情報を利用して、次の最適行動を決めたいのですが、膨大な情報から最適解を見出せなくなりました。(略)第2の問題点は、リアルタイムで処理できる情報量を超えてしまいました。/これらの問題に対処するために、脳は、リアルタイム処理できそうな量だけ、大切な情報を選別し、タイムスタンプをつけた上で、独自の意識の世界で現実世界を再構築しました。_254ページ
  • このような体験記(統合失調症の:引用者注)を読んでみると、物事の因果性は、じっくり考えて見出すものではなく、五感のように「感じる」ものではないかと筆者は思うようになりました。何も因果性を感じない鈍い人も困ります。しかし、あまりにも多くのことに因果性を感じても、疲れ果ててしまいます。またそのような人は、物事に因果性を見いだせないと、不安や物足りなさを感じ、積極的に因果性を探るようになるのでしょう。もしかすると、これが、偉大な科学者や教祖になるための秘訣かもしれません。_271ページ

意識の内容と、時刻とは脳のなかでは別々に扱われ、あとから意識として統合されるようです。ということは、意志(私がこう考えた後に、こう動かした)、因果(これが原因でこれが起こった)というのは、客観的な事実でなく、脳が作り出した幻想かも知れません。

 

因果関係も神も科学も脳が生み出したもの

  • このような因果性の推論は、意識の世界での脳の働きとはいえ、高度な思考というより、半ば自動的な働きのように思えてきます。どちらの例でも、意識の世界における時間軸上の前後関係が、因果性の推論に決定的な影響を与えているのです。おそらく脳は、時間関係に基づいて、半ば自動的に因果性を見出すのです。_258ページ
  • 脳は、意識のある予測マシンです。その要求機能を達成するために、科学も神も、必然的に生まれた設計解であると筆者は考えます。科学と神は、思考の対極にあるわけではありません。むしろ、同じの脳の働きから出てくるのです。_259ページ
  • 脳は、物事の因果性を理解し(たつもりになり)、安心して楽しく生きるために、神を作り出しました。そしてすべてを神に押し付け、認知的な負荷を減らしました。場当たり的な行動で自分の欲求を満たしたとしても、その行動の根拠は神に押し付けました。この戦略は、単純な社会ではとても上手くいきました。/しかし、社会が複雑になると、場当たり的な行動ではうまくいかなくなります。社会の中で適切に行動するために、悩みや葛藤が生まれるようになります。その結果、いい加減な神は脳から消えました。悩みや葛藤の中で、正しい神の声を聞こうと、儀式や儀礼が発達します。その中で道徳的な神が生まれ、それを精神的なよりどころとした教義や信念が、宗教として発達しました。実際に最近の研究では、世界各地の調査から、道徳的な神が生まれる前に、急激に社会が複雑化することもデータとしててされています。_264ページ

因果関係は脳がつくり出したものとすると、神や科学も脳の自動的な働きのなかで作り出したことになります。すなわち、神がこう言ったからこうなったという神の思し召しも、これを原因にこの反応が起こったという科学的な推論も、揺るぎない事実ではなく脳が作り出したものだということです。この点で神と科学が共通するのですね。

芸術と脳

  • 音楽であれ、音声による言語コミュニケーションであれ、その要求機能は、音を使って情報を伝えることです。それでは、どのような音を使うのが効率的かと言うと、脳にとって処理しやすい音です。そして、その組み合わせは、少なくともネズミから引き継ぐに同期特性に関係があると、筆者らの実験データは示唆しているのです。/人間の文化は脳から生まれました。人間の文化だから、ネズミに音楽を聞かせるのは意味がないのではなく、むしろ、音楽に対するネズミの反応こそ、人間の文化の本質を暴く可能性を秘めると筆者は考えています。_178ページ
  • 目の前にあるオブジェクトは、どのように脳の中で表象されているかを考えた上で、どのように表現すれば、他者の脳に対しても高い訴求力を発揮できるのか、これこそが「物事の本質」であり、芸術家が探求している問なのです。_232ページ

認知物語論を思い出しました。芸術が芸術として認められるのは、脳の機能にいかに合致するかに関わっているということでしょうか。

 

その他印象に残ったこと

  • ミラーニューロンの発見は、行為者が自分であろうと、他者であろうと、その意味が完全に等価であり、言葉やシンボルで説明しなくても、互いに理解できることを示しました。このような脳の中での等価性と直接的理解を示したことが、ミラーニューロン発見の大きな意義です。他者の行為を観察すると、脳の中では自分の運転をイメージに変換されるのです。_206ページ
  • どの評価軸をどのような比率で選ぶかは、生活や環境に応じて、各人がドーパミンを出しやすいように決めればよいのです。全員一律の基準を決める必要は全くないのです。目指すべき社会の「ダイバーシティ」とは、人種や性別の共存だけでなく、様々な評価軸や価値観の共存です。_275ページ

 

 

感想

とても面白かったです、とくに因果関係はあとからつくられたものというのに驚きました。でも、これは日常生活でもやっているように思います。前後の関係から、自然に因果関係が浮かんできたけれど、それがあとから勘違いだったと分かることがあるからです。因果関係は客観的なものではなく、かなりの部分で主観的だということは、覚えておきたいと思いました。