牧千夏の話したいこと

読んだ本や考えたことを勝手に紹介しています。

攻撃は弱者がするもの_『身近な人の「攻撃」がスーッとなくなる本』

水島広子『身近な人の「攻撃」がスーッとなくなる本』(大和出版、2012)を読みました。オーディオブックなので正確には聞きましたですね。

 

私は実は勘違いをしていまして、攻撃的な自分を改善する本だと思って関心を持ったのですが、そうではなく、身近な人から攻撃をされないようにする本でした。けれど、とても面白く、最後まで読んでしまいました。

 

なるほどな、とおもった著者の考えは、以下の2点です。

 

1、攻撃は、脅威に対する反応である。

人は脅威を覚えたとき、闘争か逃避かの反応をします。攻撃は、強者が弱者を征服する行為だと捉えられがちです。でも著者は、攻撃とは、弱者が小さなことを脅威に感じ、それに対して闘争および逃避の反応をしたものだと捉えます。

 

そのため、攻撃を受けたとき、強い相手に対する恐怖を抱くのではなく、困った弱い人を見るまなざしで、お見舞いの一言でもかけてあげようと提案します。

 

ただ、これは寛容な博愛主義的な思想を根柢とはしていません。あなたの人生にそれほど関係のない人なら、いたわる必要もないから、自分の気分が悪くならないようにスルーしろという、自己中心的な思考を軸にしています。それがとても痛快に書かれています。

 

2、心も衝撃をうける

誰かから攻撃されたとき、強いショックを受けます。「仕事ができない」「頭わるいんじゃないの」遠回しにでもそんなことを言われたら、誰だってショックです。でも、このときの動揺や傷ついた気持ちは、物理的・生理的な衝撃に過ぎないといいます。

 

肘とか小指をぶったとき、ジーンとしていつまでも痛く、しばらくは普段の思考や行動ができなくなるくらい、あのジンジンが続きますよね。筆者のいう衝撃とは、このジンジンのことです。心のショックも一緒で、だからショックを受けたときは、その生理反応がおさまるまで大人しく待ちましょうということです。

 

ここのポイントは、ショックは衝撃にすぎないのだから、これをきっかけに自分の生き方を反省したり、社会批判をしたりするような、そうした大きな命題を考えるべきではない、ということです。たしかに、厳しいことを言われたとき、その落ち込みから「私の生き方は根本的に間違っているのだな」と盛大な反省に突入することがあります。その時の思索は冷静なものでなく、あとから考えて納得できるものでないこともしばしばです。

 

私の勘違いで出会った本でしたが、面白かったです。