牧千夏の話したいこと

読んだ本や考えたことを勝手に紹介しています。

命の懸かった文化衝突_『精霊に捕まって倒れる』


アン・ファディマン『精霊に捕まって倒れる 医療者とモン族の患者、二つの文化の衝突』(みすず書房、2021)を読みました。

 

一言でまとめると

ラオスから難民であるモン族の一家が、娘の治療のためにアメリカの病院にかかったときの状況を、長期間にわたって記録しています。両者の文化のぶつかり合いが、双方の視点から描かれています。モン族の一家の娘・リア・リーが、この文化的な衝突のために、重篤な状態に陥ってしまうことが、当書の問題提起を深刻なものにしています。

 

もう少し細かくまとめます

自分と違う他者を拒絶する

  • 常々感じてきたことだが、最も目をこらすに値する動きは、物事の中心にではなく、境を接するところにある。私のお気に入りは、海岸線はどの前線、それに国境線。こういうところには興味深い摩擦と調和があるし、往々にして、その接点に立てば、どちらかの真ん中にいるよりも双方をよく見渡すことができる。_ii頁
  • コンカーグッドが考えるに、「汚さ」と「難しさ」ばかりをあげつらうこうした傾向は、実のところ「海外駐在の欧米人が、自分達と『異なるもの』、『他者』に直面したときの不安のあらわれである。欧米の援助団体職員とモン族との出会いは、創世神話、世界観、民族気質、命の本質における根本的な相違との対峙なのだ。・・・残念ながら、ツヴェタン・トドロフが思い出させてくれるように、『よそ者に対する最初の、自然に起こる反応は、相手の方が劣っていると想像すること。相手が我々と違うからである』」/モン族についてそういう見下すようなコメントをした人の多くは、アメリカ出身だった。_209ページ
  • ティモシー・ダニガンがこういったことがある。「私たちアメリカ人がモン族の特徴を述べるときの隠喩表現のたぐいは、モン族について語る以上に、私たち自身が私たちの価値観へのこだわりをはるかに多く物語っているのです」。_238ページ
  • この日はどういうわけか、「異能」という――「障害」に代わる言葉として、進歩的なジャーナリストの間でつかの間に流行った――言葉が頭の中を駆け巡っていた。この言葉は最初から好きじゃなかった。遠回しだけど恩着せがましい感じがするから。その時ふと、なぜそのことで眠れないのかがわかった。この日ずっと、モン族が倫理的なのか非倫理的なのかの結論を出そうとしていた自分に気づいたのだ。それが今、ようやくわかった。モン族は――これならしっくりくる――「異倫理的」なのだ。_309ページ
  • 「世の中をありのままに見ていない。自身のありさまを見ているのだ」の出処は、タルムードか、イマヌエル・カントか、はたまたシャーリー・マクレーンか、諸説あるが、いずれにしろ名言である。私は、自分こそはありのままに見ている、という思い込みと戦ったし、今なお戦っている。これこそが、リアをめぐる衝突で両者が犯した過ちだった。_386ページ

自分とは違う他者と出会ったとき、私たちはその他者を劣っていると判断しがちです。さらに悪いことに、その判断を中立的な立場で行っていると思ってしまいます。しかし、その違いは優劣ではなく、差異でしかないということですね。

 

モン族の文化の魅力

  • ミネソタ大学で行われた研究から、生後1ヶ月のモン族の乳児は、白人の乳児に比べて癇癪を起こしにくく、母親との絆が強いことが分かった。研究者はこの差異の原因を、モン族の母親が例外なく、より敏感で受容力があり、反応性が高いほか、子どもたちが発するシグナルに「きわめて適切に同調している」事実にあるとした。オレゴン州ポートランドで行われた別の研究では、モン族の母親の方が白人の母親より頻繁に自分の赤ん坊を抱いたり触ったりしていることがわかった。_26ページ
  • 最も重要なのは、モン族の基本的な気質――独立独歩、閉鎖的、反権威主義、疑い深い、がんこ、自尊心が強い、おこりっぽい、精力的、感情が激しい、おしゃべり、ユーモラス、温かくもてなす、気前がいい――が、今のところなくなっていないことだ。_263ページ
  • わたしはフォア(リーの母親:引用者注)に聞いてみた。ラオスが恋しい?(略)「ラオスのことを、そして十分な食べ物がないことや、あの汚れてビリビリに破れた服を思うと、考えたくない。ここは素晴らしい国。安心して暮らせる。食べ物がある。でもね、言葉が話せない。他の人たちに頼って生活してる。彼らがお金をくれなければ、食べていけないから飢え死にしてしまう。ラオスのものでわたしが恋しいのは、あの自由な精神。自分のやりたいようにやること。自分の田を、自分の米を、自分の作物を、自分の果樹を持っている。あの自由な気持ちが恋しい。辛いのは、本当に自分のものといえるものをもっていないこと」_132ページ
  • 私たちの文化は「ドライ」だ。そう思ったのはこの時が初めてではない。私たちは嘆き悲しむすべを知らない。様々な感情が胸につかえてしまうのは、表に出すのは節度がないかも、と思ってしまうからだ。_390ページ

モン族は、相手のままならない感情を受け入れ、自分の感情も抑えずに表現する傾向があるということでしょうか。こうしたことが、親密な人間関係をつくる上で大事だということは、実感としてよく分かります。けれど、さらけ出してもらうまでや、さらけ出すまでのプロセスが難しい。ただ、こんなプロセスに迷うのは、私が日本の文化にどぷりつかっていることの証拠なのでしょう。

 

アメリカの近代医療とモン族のまじない

  • リー夫妻が今もラオスにいたら、リアはてんかんの治療を受けないまま発作が長引いて、おそらく幼いうちに亡くなっていた、というのもまた事実だった。アメリカの医療はリアの命を守りもし、傷つけもした。この家族がより傷ついたのはどちらなのか、私には分からなかった。_330ページ
  • (リアは:引用者注)死期が近いと言われていた。それが数日のうちに平熱に下がり、呼吸も正常で、飲み込みや咽頭反射も元通りになっていた。首をひねった医師たちは、回復したのは延髄と視床下部の腫れがひいたためだと考えた。両親は、リアが家に帰ってきたその日もその後もずっと、薬草湯でぬぐってやったからだと考えた。_268ページ
  • デパケンはたまに白血球の数を減らすことがあり、感染と戦う力を妨げる場合がある)。「今でもデパケンは正しい判断だったと思いますし、同様のケースがあればまた処方します。ただ実際のところ、両親が指示通りにデパケンを与えていたら、こちらの指示に従ったことでリアの敗血性ショックを招いてしまったことは考えられます」「薬の与えすぎが原因だと両親は考えているのですが」(略)「さあ、マーセドに戻ってMCMCの関係者全員に伝えてください。あの子がこうなったのは両親のせいじゃない。わたしたちのせいだと」(略)リー夫妻が言ってたことは結局正しかった。リアは薬のせいで病気になってしまったのだ。_326ページ

モン族のリアの両親は、アメリカの児童保護制度や近代医療の視点から、子どもに十分な医療を受けさせない親として断罪されています。ただ、リアの両親は、彼らなりの方法で、リアを愛し、治療していました。そして、リアの両親の方法が絶対的な誤りでなかったことが証明されています。

他者の文化と接するために

  • モン族の友人達から一番よく聞かされる不満は、アメリカには住みたくない、ということではない。自分たちが何者で、なぜアメリカに来たのかについて、無知なアメリカ人が相変わらず多く、そういう人が少しでも減ってほしい、と願っているのだ。_383ページ
  • モン族読者からの手紙の大多数は好意的なものだが、そうでない手紙のほとんどは、お前に語る資格はない、と非難している。アイデンティティ・ポリティクスは私の好みではない。誰が誰のことを書いても構わないはずだと思っている。それでも、もし私がこの人たちだったら、やはり同じように、これは私たちの物語なのに、と憤りを感じていたと思う。_387ページ

よく言われるように、まずは相手を知ることから始めるということですね。ただ、相手のことを知って、語るとき、そのときはそのときで問題が生じます。確かに自分のアイデンティティーに関することは自分で語りたいという気持ちはよく分かります。それなのに、人には分かって欲しいんですよね。矛盾している気もしますが、実感としてよく分かります。

 

感想として

とても身につまされる本でした。私の子どもはヌーナン症候群(の疑い)があって、頻繁に病院やリハビリに通っています。医療的な観点からみれば、定期的にチェックをし、検査によって障害を判定し、子どもの発達を支援することは重要でしょう。それにまったく異論はないし、親として、その責任があることもよく分かります。

ただ、この病院通いによって、家族の時間、仕事の時間が削られることが、率直に言ってしんどいです。病院の先生や看護師さんはとてもよい方ばかりなので、その点には不満と言うより感謝しかないのですが、仕事に穴をあけるために方々にあやまり、ときには役割分担で夫婦げんかをし、診察では嫌がる子どもをなだめ、家に帰ったらばたばたと家事をする、そういう一連のことがしんどいのです。子どもが楽しく健康に生活するために病院に連れて行っているのに、病院通いによって家族の生活のバランスがくずれると、なんだか虚しくなります。医療の論理と、家族の生活の論理がぶつかって、後者がないがしろになっている。そんな実感があったので、私はリー夫妻に深く感情移入してしまいました。

次男の妊娠中にはいろいろあったので、近代医療がなければ、私も次男も生きてはいません。それにくわえて、お医者さんや看護師さんの人柄や振る舞いもすばらしいので、まあ結局病院に通い続けるわけですが、このジレンマをどう自分のなかで解消するのか、いまだに悩み続けています。