牧千夏の話したいこと

読んだ本や考えたことを勝手に紹介しています。

ああならなくてよかった_エッセイ

オレンジクロスの主催する看護・介護エピソードコンテストで理事長賞をいただきました。

エッセイはオレンジクロスのサイトでは公開されないとのことでしたので、ここで公開します。

www.orangecross.or.jp

 

 

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ああならなくてよかった

 

「うちの子が、ああならなくてよかった」

 

彼らだけが聞こえるように発せられたその小さな一言に、私は身体ごと打ち抜かれた。眼を強くつぶって、あふれかえるものをせき止めるしかなかった。

 

私の次男はお腹にいるときに、なんらかの障害をもっていることがすでにわかっていた。私はハイリスク妊婦として入院し、自力で出れなかったわが子は、緊急の帝王切開でなんとか外に出てきた。とりあえず息をしたことを喜んだのもつかの間、子はすぐにNICUに入った。自力でミルクを飲めず、排泄もできなかった。手の甲には点滴の針がさされ、胸には心電図、足にはオキシメーター、鼻からは経管栄養の管が出ていた。管とサージカルテープでぐるぐる巻きになったわが子は、無表情なのに苦しそうで、肌着に描かれたカエルだけが笑っていた。

 

母親らしいことがしたくておっぱいを含ませようとすると、子は弱々しく乳首をくわえて吸いつこうとした。小さくふるえる唇に反応して、張りつめたおっぱいは必死に母乳を出すが、子どもは口元からそれをたらたらとこぼしていた。飲まれなかった乳は子の肌着をよごし、私のズボンをべとべとに濡らした。まるで私の愛が、抱いているこの子に永久に届かないようだった。

 

その日、いつものように授乳に失敗し、いくつもの管を外して子を着替えさせ、飲まれなかったおっぱいを搾乳して、休憩室で食事をしていた。何を食べてもおいしくないのに空腹感だけは強く、私は何かの仇みたいにおにぎりを奥歯でつぶしては飲み込んでいた。その休憩室は、NICUに入院する子の親だけでなく、見舞客も利用する。きちんとした身なりで明るい表情をした夫婦は、すぐに見舞客の方だとわかった。私は背を向けておにぎりをかじり続けた。彼らは一本ずつ甘いコーヒーを買い、背もたれによりかかって、いま見舞ってきたばかりの子について話していた。これから大変だよなあ、自宅介護になるの?なんていう障害だっけ、聞いたことない名前だったな。それにしても。彼らは、ふうとため息をついた。うちの子がああならなくてよかったって思っちゃったよ。

 

一瞬だった。頭よりも先に身体がその言葉を理解した。身体の芯は凍り付くようなのに、耳の先まで紅潮し背中にじわっと汗がひろがった。ああ、障害を持った子は不幸だと、わが子は裁かれているのか。あなたはみんなが引きたくない大はずれのクジを引いたのだと、私は遠回しに言い渡されているのか。私は少しずつ頭で分かっていった。

わが子が、他人にはそんなふうにしか見えないと言うことが、私の胸を深く切り裂いた。

 

次男は1月半でNICUを出たが、この言葉に予告されたように、彼との日々は大変だった。経管栄養のカテーテルをおそるおそる挿管し、母乳を絞ってゆっくり注入する。苦労してお腹に入れても、全部吐いてしまうこともあった。お腹の張りを見て正しいか分からないマッサージをしながらガスを抜いた。病院を出たいま、彼を守れるのは私たちしかいない。ただただもう必死だった。苦しかった。逃げ出したいと泣いたことも一度や二度ではなかった。

 

でも、時というのはありがたいもので、無我夢中のケアを繰り返すなかで、彼はほんの少しずつ成長していった。今日は一度も吐かなかったね、いまちょっとだけ首を持ち上げたよ。あれ、いま目が合った気がする。私たちは彼の持つ困難さにあいかわらず翻弄されてはいたが、でも彼がくれる日々の喜びは、家族を深く温めてくれた。

 

そうして次男はなんとか3歳を迎え、彼のいる生活がすっかりわが家の日常になったころだった。彼の障害に、ヌーナン症候群という診断がついた。特徴的な顔貌、低緊張、全般的な発達の遅滞。コピー用紙に明朝体でプリントされた医学的な所見は、たしかに次男に当てはまった。なるほど。変に納得させられると同時に、なぜか拭いがたい違和感が広がった。ヌーナン症候群じゃないと言いたいわけではない。でも、私たちが3年半身体まるごとで付き合ってきた実感とはなんだかあまりそぐわなかった。

 

だってそこには、こちらを見つめて笑う離れた瞳の愛しさが記されていなかった。階段で大きな頭をぐらぐらと揺すり、それにいちいち心臓を縮ませることも、誤嚥したものを必死にかき出すときの焼けるような焦燥感も記されていなかった。私たちにとっての、彼の障害とはそういうものだった。そのときはじめて、この子と積み重ねてきた日々が、「障害」という言葉に、私たちの汗と涙と体温を通わせたのだとわかった。

 

そう気づいたとき、私はあのときの「ああならなくてよかった」という一言からやっと解放されたような気がした。あの夫婦にとって「障害」は、ただ単に「遅れがある」「健康でない」という冷たい症名としての意味だったのだ。そうした足かせからわが子を遠ざけたいというあの夫婦の気持ちを、私はとがめることなどできない。けれど、次男と過ごした私たちにとって「障害」は、酸いも甘いも苦みも酸味もある味わい深いものに変わったのである。

 

「ヌーナン症候群」。次男と生きる私たちだから、無機質な症名をこの腕で抱きしめることができる。

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うーん。こうしてあらためて読んでみると暗いですね、

私としては、「障害」のある子と生きると「障害」の意味が変わるんですよ、これがまた味わい深いんですよ~!という感じにまとめたかったのです。でもまあ、もちろん苦しいこともあったので、どうしてもそういうトーンがにじんできちゃうのですね。

 

私の感じ方によって、否定されたように感じたり、悲しい気持ちになったりした方がいたら、申し訳ないです。私がこの子と生きる日々を愛しているということが、どなたかひとりにでも伝わればうれしいなと思います。