牧千夏の話したいこと

読んだ本や考えたことを勝手に紹介しています。

目標が敗北をつくる_『僕らはそれに抵抗できない』

アダム・オルター『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』(ダイヤモンド社2019)を読みました。

 

印象的だった部分を引用します。

 

  • 行動嗜癖には6つの要素がある。第1に、ちょっと手を伸ばせば届きそうな魅力的な目標があること。/第2に抵抗しづらくまた予測できないランダムな頻度で報われる感覚があること。/第3に段階的に進歩向上していく感覚があること。/第4に徐々に難易度を増していくタスクがあること。/第5に解消したいが解消されない緊張感があること。そして第6に強い社会的な結びつきがあること。_プロローグ
  • 最初は楽しみのためにジョギングをしていたのに、毎日一定の速度で最低6マイル走らなければならないという衝動に駆られ、疲労による負荷をためていくのも、強迫性の情熱に含まれる。「へこたれない自分」がアイデンティティとなってしまい、それが幸せだということになっているので、倒れて歩けなくなるまで走るのをやめられないのだ。調和性の情熱は「人生を生きる価値のあるものにする」が、強迫性の情熱は精神を疲弊させる。_15ページ
  • 幼い子を持つ大人が携帯電話やタブレット端末を頻繁に触るのは、そうでない大人が同じことをするよりも害が大きい。頭部装着型のカメラを使った実験では、幼児が本能的に親の目線を追うことがわかっている。しょっちゅう何かに目移りしている親は、そうした視線のパターンを、そのまま子に教えていることになるのだ。集中できない親は、子どもを集中できない人間にする。_36ページ
  • 何らかの物質や行動自体が人を依存させるのではなく、自分の心理的な苦痛を和らげる手段としてそれを利用することを学んでしまった時に、人はそれに依存するのだ。_80ページ
  • 依存症になるリスクが最も高いのは成人になりかける頃である。思春期に依存症にならなければ、後に発症する確率はかなり低い。理由は多々あるが、とりわけ大きい要因は、この時期の若者は自分の能力ではまだ対処しきれない責任を無数にしょわされる点だ。背伸びして無理をし続けなければならない時期に、その苦痛を紛らわせる物質や行動にふけることで負担を軽くできると学習してしまうと、それが依存症になりうる。折り合う技術が身につき、交友範囲が広がってくるのはだいたい20代半ばごろだ。_81ページ
  • 人生を達成すべき小さなマイルストーンの連続と考えるならば、あなたは「慢性的な敗北状態」でこの世に存在していることになる。ほぼ常に、目指す偉業や成功にまだ達していない自分として生きることになるからだ。(略)アダムスが提案するのは、目標をよりどころに生きるのではなく、システムに沿って生きていくという意味である。彼が言うシステムとは、「長い目で見て幸せになる確率を高める活動を、日常的に行う」という意味である。_133ページ
  • インターネットでポルノ関連の用語を検索するのも、保守的で宗教色の強い州の人々の方が多いという。Googleトレンドのデータを分析し、アメリカ各州における検索行動の傾向を調べたところ、宗教的信念や保守的主義と、ポルノに関わるネット検索との間に、明らかな相関関係が見られた。_330ページ
  • 動機によって解決策は異なるが、依存症患者がその行動をやめられない理由を突き止められれば、根幹的動機を満たす別の習慣を提案することも可能になる。いじめられているなら、柔道や空手などの護身術のクラスに入ってみるのがいいかもしれない。異国への憧れに苦しんでいるなら、外国の本を読んだりドキュメンタリーを見たりすることで好奇心が満たされるかもしれない。友達がいなくて寂しいなら、新たな社会的結びつきを開拓すればいいのかもしれない。もちろんそんな風に解決するのが容易であるとは言わない。それでもまず依存症が与えてしまっている報酬を理解し、そこにどんな心理的ニーズがあるのか見極めていくことが第一歩となる。_338ページ

 

耳の痛い話でした。もっとも、つらかったのは、目標設定が人生をつねに敗北状態にするという言葉でした。私はまさにこれですね。。。

つねに目標を設定して、それに向かって努力し続けることがアイデンティティになってしまい、それによって犠牲にしているものが多いように感じます。子育てするようになって、それに気づきました。

子どもは、私の目標なんかどうでもよくて、それよりも一緒にいて遊んで欲しいんですよね。私も届きもしない目標を無理して追いかけるより、子どもと一緒に月を見ながらおしゃべりする時間のほうに満ち足りた感覚を抱くことがあります。

まあ、バランスなのかな。勉強になりました。