牧千夏の話したいこと

読んだ本や考えたことを勝手に紹介しています。

狩猟採集の社会は、持続可能な社会_『「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている』

ジェイムス・スーズマン著、佐々木和子訳『「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている』(NHK出版、2019)

を読みました。

一言でいえば

ナミビアカラハリ砂漠ブッシュマンコイサン人のうち狩猟採集民)が、資本の蓄積とは違ったかたちで、安定を保って生きていることが説明されます。

 

ただ、タイトルの自己啓発的な雰囲気とは違って、ブッシュマンの生き方の賛美、という内容ではありません。コイサン人の政治的・経済的な歴史を、細かくみています。特に、コイサン人の生き方が、資本主義や植民地主義に壊される過程が様々なパターンで説明されています。

もう少し詳しく

狩猟採集民は持続可能な社会

  • コイサン人が進化において成功を収めたのは、他の土地に次々と入植したり、活動の空間を拡大して人口を増加させたり、新たな技術を開発したりしたからではなく、自分たちがいる場所での暮らしを建てる技術を習得したからだった。57
  • 狩猟採集から農耕牧畜への移行と同じく重要なのが、ホモサピエンスの20万年の歴史の9割以上が、商業資本主義や農業によって形作られたわけではないということだ。つまり狩猟採集はそれほど長い間歴史を刻んできた。どれほど長い間持ちこたえているかが持続可能性の根本的な尺度だとしたら、狩猟採集は全人類史で発展した経済手法で最も持続可能であり、コイサン人はその手法を最もうまく身につけた人々だと言える。72

狩猟採集というと、その日暮らしで不安定なように思えます。しかし、人類史で考えたとき、農耕社会よりはるかに長いわけです。

この論理は以前恐竜学者も使っていましたね。恐竜社会は1億6千万年繁栄した。人類はまだ500万年ほどで、この先人類が1億年以上繁栄するとは思えない(戦争とか環境問題とか)。そう考えると、恐竜社会は持続可能で高度な社会だったといえる、と。

農耕社会が貧富と取引を生んだ

  • 農耕牧畜は、狩猟採集よりもはるかに生産性が高く、人口が急増した。また、時折農作物の余剰ができ、それによってヒエラルキーと貢物の制度が生まれた。ヒエラルキーと貢物は、もっと資源を集め、拡大征服するように人々を駆り立てた。60
  • カラハリの端の最小規模の自給の農民から大草原の技術集約型産業規模の小麦農家まで、あらゆる農耕民は作物を実らせるために環境と取引をしなければならない。(略)取引の主な通貨は労働だ。農耕民が土地を耕すのをやめれば、取引は必然的に崩壊する。(略)そして神や祖先、科学機関や政府機関などの専門家に、生産高を最大にし、リスクを最小にしてもらうようあらゆる犠牲を払う。159
  • この木にまつわる有名な物語や神話があるかと聞いた。彼はまた肩をすくめた。そしてこう言った。これは蜂蜜がよく取れる良い木で、いくつもの容器がいっぱいになった。158
  • 狩猟採集民のジュホアンは(略)動物には精神があるとか、土地には意識があり生きているとは言わない。環境の摂理についてありのままの言葉で述べるだけだ。それはそこに存在し、彼らに食べ物や利用できるものを用意してくれ、他の人にも同じように用意していると表現する。(略)ジュホアンは環境を何かに作用する能力を持つ様々なものーー植物や昆虫動物人々精霊神々天候ーが織りなす関係だと説明する。160

狩猟採集民にとって、食べ物や資源は、その日生きるためのものでした。けれど、農耕によって、人は環境をコントロールするようになり、富を蓄積するようになりました。そうしたことで自然環境との関わりが、相互作用ではなく、取引になりました。

経験に基づく地理観・時間観

  • ジュホアンは自分たちのテリトリーについて、現在のナミビアの法律による所有権で決められた土地とは違う見方をしている。彼らのテリトリーは細かく調査したり、柵で囲ったりはできないし、地図上で簡単に空間として表すこともできない。地図を使って暮らす私たちのように、ジュホアンは上空から見て土地を把握しているわけではない。彼らは経験から自分のテリトリーを考える。つまり、その環境は平坦で、視点の位置は目の高さとなる。彼らから見るとテリトリーは水源や食料品へつながる即席の径が幾重にも交差してできている。それは歩いたり、狩猟採集をしたりしている内に生気が吹き込まれる土地だ。90
  • その理由は、ブッシュマンの時間の感覚が、幼い子どもの感覚に似ているからで、ブッシュマンはすぐに得られる満足だけに関心を持っていて、将来のことなど全く考えず、過去というものをほとんど正しく理解していないからだと彼は説明する。105
  • とりわけブッシュマン今を生きる傾向は賃金労働や農作業に不向きだと不満を口にした。106
  • 私は白人農場主が、時間は直線的で有限であり、絶えず起こる変化にそれが裏付けられていると考えるとしたら、ツエンナウ(人名:引用者注)は、時間は循環的周期的だと考えている。季節の訪れは予測可能であり、太陽や星、月の動きは機械のように規則正しいからだと言う。(略)彼も自分がいつ生まれたのか知らないし全く関心がない。107

内山節の時間論を思い出しますね。私たちの、地理観・時間観は自然科学的です。俯瞰的で単一の尺度で測られます。狩猟採集民は、彼らの経験に基づいた、地理観・時間観をもっています。

もちろん、それが未熟だと筆者は言いたいわけではありません。彼らが生きるためには、それこそが役立つ認識方法なのです。

私の祖母もそうでした。祖母は地図を読まないのですが、タケノコや山菜の位置をよく知っており、山の中の道なき道をずんずん歩いて行きました。コンパスと地形図を使って登山道を歩くという自分の方法が、いかに限られた狭い能力かを思い知りました。

現代社会の生活は、ヒトに合わない

食事事情の変化に適応するには人類の進化のスピードは緩やかすぎるか、私たちが文化的なルールを敷くことでそれを早めることができる。例えば闘争や性欲などの無意識な本能に思えるものでも、ルールによって抑制できる。今や食生活でもこれまで以上にルールを強化して健康に配慮するべきなのだ。174

これは、医学や脳科学でも生理学でも、どこでも聞きますね。ただ、人類学の文脈でこれを言う難しさに、狩猟採集民の〝いまを生きる〟考え方があります。すなわち、〝いまを生きる〟からと言って、明日のことを考えず欲望のままにお菓子食べてNetflix見る、というわけではありません。その〝いまを生きる〟生き方は狩猟採集民の暮らしのなかでこそ、有効なのですね。だから、彼らの生活にお酒やお菓子が入ると、身体や精神のバランスを崩してしまいます。

言葉の意味は、その文化を生きないと分からない

人類学者は調査する人々の日常生活にできるだけ関わらなくてはならないが、実際のところ、私たちが主に行なっているのは観察して質問することだ。そうすることによって「ノウ」のようなものの側面をいくつか説明できるが、解明できるわけではない。自分自身がその大地の生み出した命になり、季節のリズムによって形作られ、狩人と獲物の間に結ばれる絆を経験しなくては「ノウ」を理解することはできないのだ。180

これは文学研究を愛する者として、心に刻まなくてはなりません。一次資料を読むと、その当時に、特殊な意味や背景を持っていた言葉に出会うことがあります。私の研究だと「生命」とか「更生」とかですね。

嫉妬は、人類社会を平等にするために、人類にプログラムされた!?

狩猟採集民が貫くような平等主義は、20世紀の共産主義、あるいは ニューエイジのコミューン主義の夢見るような理想主義から思い浮かぶ、観念的な教条主義によって生まれたのではない。ジュホアンの平等主義は、個人主義が強い社会において、自分の利益にしたがって率直に振る舞う人々の相互作用から生じたものだ。(略)個人の利己心が積み重なることを抑制する嫉妬によって、利益を目的とする交換やヒエラルキー、著しい物質的不平等を許容しない厳格な平等社会が成り立っているのだ。270

この本で私が最も衝撃を受けた部分です。私は人と比べることをあまりしたくないのですが、嫉妬というか、気後れするときがあります。著者紹介や初出一覧を見て、自分と比較して、うなだれる、みたいな感じです。

以前脳科学の本で、嫉妬はヒトの脳の共通した機能だと説明されていて、では無くすことはできない感情なんだな、と理解していました。でも同時に、なぜ?とも思っていました。

ジュホアンの社会では、嫉妬が見えざる手になって、不平等が是正されます。ヒトは生きるために食料などの物質的な富を獲得しようとします、でも種として繁栄するためには、それが限られた個人に集中するべきではありません。この、異なる方向のヒトの性質を調整するのが、嫉妬なのですね。

そう考えると「社長だけたくさん給料もらってずるい」と言う気持ちは、個人的な憎悪の感情ではなく、集団的な富の再配分圧だと理解できますね。

 

とても勉強になりました。