牧千夏の話したいこと

読んだ本や考えたことを勝手に紹介しています。

自分の専門分野において英語を学ぼう_『定年英語』

田代真一郎『定年英語 英語が話せなかったサラリーマンがなぜ定年後に同時通訳者になれたのか』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2023)を読みました。オーディオブックなので正確には聞きました、です。

 

もっとも重要な主張は、

英語学習は、自分の専門分野(とくに仕事)において行うとよい。

というものでした。

 

  • 仕事であると、なんとしてでもやらなきゃと思って、高いモチベーションを保てる
  • その専門分野の知識があるためために、英語の能力不足を補うことができる

ということを理由として述べていました。

 

なるほどと思いました。たしかに前回のカナダの専門学校への引率で、土木系の授業や制御系の授業は、まったく理解でしませんでした。90分ひたすら「ああ、私ってやっぱバカなんだな」と思い続けていました。けれど、プログラミングの授業はなぜかなんとなく分かりました。

くわえて、働くママとの雑談や教員としての雑談では、なぜかすごく理解できるし、なんとなくしゃべれました。preschoolときたら送迎の話かなと予測できるし、assignmentときたら、宿題はどのくらい出してる、みたいな話になるのかなと予測できます。

 

この本を読んでなんとなく裏付けを得たように思いました。

 

別の観点で面白かったのは著者のモチベーションに関する考え方です。

人のモチベーションには2つのタイプがある。ひとつは、○○をやりたいと思うことであり、もうひとつは、恥をかきたくない、と思うことである。

というもので、著者は後者のタイプだそうで、それをうまく飼い慣らしているように思いました。私は恥をかきたくないとあまり思わない方ですが、そういうモチベーションを使うのもいいなと思いました。

 

 

草稿研究でしかできない仕事がある_杉浦静『宮沢賢治 生成・転化する心象スケッチ』

杉浦静『宮沢賢治 生成・転化する心象スケッチ』(文化資源社、2023)をご恵送いただきました。拝読しましたので、感想を述べます。

 

私がとくに心に残ったのは、以下の3点です。

草稿研究でしかできない仕事がある

私も詩を論じたときに、やはり草稿を取り寄せて確認したことがありますが、そもそも解読できないんですね・・・。書かれた順番も字も新校本の全集を見てやっとわかるという類いでした。とほほです。

これを丹念に読み解き、整理されてきた杉浦氏お仕事のお蔭で、今の賢治研究が成り立っているのだと改めて思いました。個人的には、p.422で扱われた筆圧痕のところなどは、直接草稿に当たって、繊細に神経をとがらせなければたどり着けない境地であり、感銘を受けました。

 

草稿の整理の仕方がわかりやすい

私もそろそろ本を出すのですが、そこで一部改稿の話をします。しかし、その整理の仕方には苦労しました。どのように説明したら一見して理解していただけるか、頭を悩ませました。

 氏のご著書では、それがとても分かりやすく整理されていました。ナンバリングや矢印だけではなく、ときには概念図、ときには表を用いられ、きわめて端正に分かりやすく整理されていました。とくに「〈詩稿集〉と〈山〉」でなされた整理と説明の方法は、「こうすれば分かりやすいのか!」と開眼されました。

 

改稿過程からは、作品分析・同時代言論の分析とは異なることが見える

 私の研究の観点からして勉強になったのは、やはり「「三一三産業組合青年会」と「三一四〔夜の湿気と風がさびしくいりまじり〕」の章でした。私は、農村文学や農民運動(特に産業組合と左翼運動)の観点から宮沢賢治の研究を行っています。

 私は氏がp.126で扱われた「〈億の天才の共存〉」と「産業組合中心の協働・交換教授への期待」とを同種の、シームレスなものとして考えていました。産業組合は、大正デモクラシーをうけたために、民主主義的で個人尊重の流れがあります。そのため、この2つの概念は、まったく一緒とは言わないまでも、つながった概念だと捉えていました。

 しかし、改稿過程に即してみると、なるほど、宮沢賢治のなかでは異なる概念として使われていたことが分かりました。やはり改稿の過程を詳しくみることは大切だと深く納得しました。

 

最後になにより、氏のご研究の厚みといますか蓄積に圧倒されました。地道さ、着実さ、堅実さには、本当に頭の下がる思いです。

 

ご学恩にこころより感謝します。

 

 

 

目標が敗北をつくる_『僕らはそれに抵抗できない』

アダム・オルター『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』(ダイヤモンド社2019)を読みました。

 

印象的だった部分を引用します。

 

  • 行動嗜癖には6つの要素がある。第1に、ちょっと手を伸ばせば届きそうな魅力的な目標があること。/第2に抵抗しづらくまた予測できないランダムな頻度で報われる感覚があること。/第3に段階的に進歩向上していく感覚があること。/第4に徐々に難易度を増していくタスクがあること。/第5に解消したいが解消されない緊張感があること。そして第6に強い社会的な結びつきがあること。_プロローグ
  • 最初は楽しみのためにジョギングをしていたのに、毎日一定の速度で最低6マイル走らなければならないという衝動に駆られ、疲労による負荷をためていくのも、強迫性の情熱に含まれる。「へこたれない自分」がアイデンティティとなってしまい、それが幸せだということになっているので、倒れて歩けなくなるまで走るのをやめられないのだ。調和性の情熱は「人生を生きる価値のあるものにする」が、強迫性の情熱は精神を疲弊させる。_15ページ
  • 幼い子を持つ大人が携帯電話やタブレット端末を頻繁に触るのは、そうでない大人が同じことをするよりも害が大きい。頭部装着型のカメラを使った実験では、幼児が本能的に親の目線を追うことがわかっている。しょっちゅう何かに目移りしている親は、そうした視線のパターンを、そのまま子に教えていることになるのだ。集中できない親は、子どもを集中できない人間にする。_36ページ
  • 何らかの物質や行動自体が人を依存させるのではなく、自分の心理的な苦痛を和らげる手段としてそれを利用することを学んでしまった時に、人はそれに依存するのだ。_80ページ
  • 依存症になるリスクが最も高いのは成人になりかける頃である。思春期に依存症にならなければ、後に発症する確率はかなり低い。理由は多々あるが、とりわけ大きい要因は、この時期の若者は自分の能力ではまだ対処しきれない責任を無数にしょわされる点だ。背伸びして無理をし続けなければならない時期に、その苦痛を紛らわせる物質や行動にふけることで負担を軽くできると学習してしまうと、それが依存症になりうる。折り合う技術が身につき、交友範囲が広がってくるのはだいたい20代半ばごろだ。_81ページ
  • 人生を達成すべき小さなマイルストーンの連続と考えるならば、あなたは「慢性的な敗北状態」でこの世に存在していることになる。ほぼ常に、目指す偉業や成功にまだ達していない自分として生きることになるからだ。(略)アダムスが提案するのは、目標をよりどころに生きるのではなく、システムに沿って生きていくという意味である。彼が言うシステムとは、「長い目で見て幸せになる確率を高める活動を、日常的に行う」という意味である。_133ページ
  • インターネットでポルノ関連の用語を検索するのも、保守的で宗教色の強い州の人々の方が多いという。Googleトレンドのデータを分析し、アメリカ各州における検索行動の傾向を調べたところ、宗教的信念や保守的主義と、ポルノに関わるネット検索との間に、明らかな相関関係が見られた。_330ページ
  • 動機によって解決策は異なるが、依存症患者がその行動をやめられない理由を突き止められれば、根幹的動機を満たす別の習慣を提案することも可能になる。いじめられているなら、柔道や空手などの護身術のクラスに入ってみるのがいいかもしれない。異国への憧れに苦しんでいるなら、外国の本を読んだりドキュメンタリーを見たりすることで好奇心が満たされるかもしれない。友達がいなくて寂しいなら、新たな社会的結びつきを開拓すればいいのかもしれない。もちろんそんな風に解決するのが容易であるとは言わない。それでもまず依存症が与えてしまっている報酬を理解し、そこにどんな心理的ニーズがあるのか見極めていくことが第一歩となる。_338ページ

 

耳の痛い話でした。もっとも、つらかったのは、目標設定が人生をつねに敗北状態にするという言葉でした。私はまさにこれですね。。。

つねに目標を設定して、それに向かって努力し続けることがアイデンティティになってしまい、それによって犠牲にしているものが多いように感じます。子育てするようになって、それに気づきました。

子どもは、私の目標なんかどうでもよくて、それよりも一緒にいて遊んで欲しいんですよね。私も届きもしない目標を無理して追いかけるより、子どもと一緒に月を見ながらおしゃべりする時間のほうに満ち足りた感覚を抱くことがあります。

まあ、バランスなのかな。勉強になりました。

 

 

 

 

空腹時に運動する_『オックスフォード式最高のやせ方』

下村健寿『オックスフォード式最高のやせ方』(アスコム、2021)を読みました。

 

正確には、聞きましたですね。オーディオブックの朗読で聞きました。

 

私は代謝に興味があるのですが、糖質・脂質・タンパク質の代謝がとても分かりやすくまとめられていました。

 

ダイエット法としては、夜寝る3時間前に夕食を済ませると言うことと、朝、朝食を取る前に30分運動するというものでした。空腹時に運動することで糖代謝ではなく、脂質代謝でATPを作らせるようです。なるほど~

 

興味深かったのは、筋肉組織にある脂肪滴の話でした。肥満気味の方にも、アスリートにも筋肉組織のなかに脂肪滴があるそうです。ただ、アスリートの場合は、その脂肪滴の粒が小さく、まわりにミトコンドリアがたくさんくっついているそうです。つまり、ただぜい肉のように蓄積しているのではなく、普段の運動できちんとミトコンドリア代謝してATPに変えているってことですね。

 

私は子どもを産んだ後、お腹が弱くなって、あんまり食べられなくなりました。お腹壊すのが怖いから、食べなくなるんですけど、運動は好きなのでお腹減ったまま運動(特に登山!)をします。はじめはすぐに疲れてしまったんですけど、それを繰り返していくうちに脂質代謝がよくなったなという実感はあります。お腹減ったな、と思っても歩いていくうちに身体が軽くなって元気になるんですよ。身体軽くなる瞬間、私は勝手に糖質代謝から脂質代謝に切り替わったと思っているのですが、まあ勘違いかも知れませんね。

 

ダイエットの本について、レビューしましたが、私は痩身がすばらしいみたいな考えはありません。むしろそういう考えは好きではないです。

 

ただ、ダイエットの本ってたくさんあって、代謝の話が分かりやすく書かれている本というのに結構当たるのですよ。ダイエットって、つまり代謝の話ですもんね。

 

今回の本も勉強になりました!

 

 

 

 

 

ドーパミンはドラッグ_アンナ・レンブケ『ドーパミン中毒』

アンナ・レンブケ『ドーパミン中毒』を読みました。

 

印象に残った部分と感想をまとめます。

 

  • 神経科学者のノーラ・ボルコウらはドーパミン物質を大量に摂取すると、最終的に脳ドーパミン欠乏状態になることを示した。(略)ボルコウ博士らはこう書いている。「薬物乱用者においては、ドーパミン放出が減少するとともにドーパミン受容体D2も減少することから、自然な報酬刺激への報酬回路の感受性が低下する」。一度これが起こると、何があってももう喜べなくなってしまう。_81ページ
  • 現代人は依存症になりやすくなっているが、それはドラッグが人間にまだ身体があることを思い出させるからではないか、と私は思うことがある。ゲームも依存しやすいものの一つだが、人気のゲームはその中でキャラクターが走ったり跳ねたり登ったり打ったり飛んだり、身体を派手に動かす特徴がある。(略)現代人はセックスに依存することがあるが、セックスはまさに現代まで広く残っている最後の身体活動だからなのかもしれない。_204ページ
  • エクストリームスポーツや耐久スポーツをやっている人は皆依存症だと言っているわけではない。そうではなく、どんな物質、どんな行動にも依存症になる可能性はあり、そのリスクは得られる効果が強ければ強いほど、量や持続時間が増えれば増えるほど上がるということを言いたかっただけだ。シーソーを苦痛の側にあまりにも強く、押し付けた人たちをまた、ドーパミン欠乏状態に陥ることになってしまうのである。_225ページ
  • 私は時々、仕事を一度始めるとやめるのは難しいと思うことがある。深い集中に入る”フロー”と呼ばれる状態はそれ自体がドラッグであり、ドーパミンを放出し高揚状態を作り出す。それ以外何も考えられないというこの種の集中状態は、現代の豊かな社会の中で高く報酬が与えられるものになるものだが、それ以外の人生のものごと――友達や家族のつながりから私たちを切り離すは罠にもなり得る。_228ページ
  • 親密さはそれ自体がドーパミン源となる。恋に落ちることや母子の絆を作ること、性的な結びつきを生涯のものに変えることに関わる大事なホルモン「オキシトシン」は脳の報酬回路のドーパミン神経細胞の受容体に結合する。報酬回路の活動を高めるのである。(略)妻に正直に打ち明け、彼女から温かい言葉で共感を示されたことで、ジェイコブの脳の報酬回路にはオキシトシンドーパミンが放出されたことだろう。そしてそれは、彼にまたそうしようという気持ちを起こさせることになる。/真実を語ることが人間同士の愛着を作る一方で、高ドーパミン製品の衝動的な摂取は愛着とは正反対のものをもたらすことになる。孤立や無関心に導くのだ。なぜなら、ドラッグが他者との関係性の中にいることで得られる報酬の代わりになってしまうからだ。_249ページ

 

感想

ドーパミンは自分の身体が作り出す神経伝達物質であり、それは強い快楽を感じさせるものだから、まあよいものだろうと安易に考えていました。でも、ドラッグと同じで、激しくドーパミンを放出させるものごとは、危険が伴います。より激しいドーパミン放出を求めるようになり、それが止めどない点で人を依存させてしまうのですね。私は「楽しい」「面白い」至上主義的なところがあるので、あぶないなと思いました。

 

別の観点で心打たれたのは、次の部分です。

しかし私はプロザックをやめたことは後悔していない。プロザックを服用していない時の私の人格は母には合わないが、そうでなければ決してできなかったようなこと私にさせてくれる。/今、私は自分がいくらか不安を感じやすく、鬱っぽく、懐疑論者であることに納得している。私は摩擦と挑戦と努力と闘争が必要な人間だ。寝台の長さに合わせるために、客の足を切り落としたギリシャ神話の宿屋のように、私は世界に合わせて自分の足を切り落としたりしたくない。誰もそんな風にされるべきではない。_183ページ

私は、常に冷静沈着で温和で理性的であれというのが、苦手です。私は、調子に乗りやすく、激情家で、情にもろい人間だからです。こんなポンコツだからこそやってしまった失敗というのは数知れないのですが、こんなポンコツだからこそ育てられた人間関係もやっぱりあります。だからといって、激情に任せてパワハラやセクハラをしてもよいと思っているわけではありません。でも、はみ出た足と手を切り落とされるのは、やっぱり誰でもつらいですよね。

自分のはみ出した足で誰かを傷つけることには気をつけながらも、伸ばせる範囲で伸ばしたいし、人のはみ出た足につまづいても、なるべく寛容でありたいと思いました。

 

 

カロリー消費量は運動量と関係がない_『運動しても痩せないのはなぜか』

ハーマン・ポンツアー『運動しても痩せないのはなぜか 代謝の最新科学が示す「それでも運動すべき理由」』(草思社、2022)を読みました。

 

とくに勉強になった点を引用します。

 

  • 寿命と代謝の関係を説明するより有力な説として1950年代に登場したのがフリーラジカルが老化を引き起こすとする説だった。(略)電子伝達系のミトコンドリアの中で行われるATP合成の最後の過程で酸素の分子がフリーラジカル活性酸素種とも呼ばれる)に変わることがある。フリージカルは電子を1つ失った酸素の分子だ。この変異した酸素種は貪欲で、周囲の分子から電子を奪い、DNA、脂質、タンパク質に害を及ぼす。ハーマンはこのフリーラジカルにあるダメージの蓄積が老化であると論じたのだ。_117ページ
  • 体を動かすとどんなやり方であれカロリーの使い方が調整されて不健康な仕事に費やされるカロリーが減る。_284ページ
  • 身体活動は会社の調節法に影響を及ぼすというものだ。定期的に運動をしていると脳が食欲をカロリーの必要性にうまく合わせることができる。カロリーの高い脂肪たっぷりのものを食べすぎると視床下部に炎症が生じる。すると空腹満腹を知らせる信号の調節がうまくいかなくなり、体重が増える。_287ページ

 

運動の価値は、カロリーの消費量を増やすことで痩せられるという点にはありません。運動でカロリーを消費しないと、その分のカロリーが身体の炎症反応に使われてしまうから、それを避けるために運動をすべきだと筆者はいいます。

 

自分の実感としてもなるほどと思う部分の多い本でした。面白かったです。

 

 

 

 

ああならなくてよかった_エッセイ

オレンジクロスの主催する看護・介護エピソードコンテストで理事長賞をいただきました。

エッセイはオレンジクロスのサイトでは公開されないとのことでしたので、ここで公開します。

www.orangecross.or.jp

 

 

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ああならなくてよかった

 

「うちの子が、ああならなくてよかった」

 

彼らだけが聞こえるように発せられたその小さな一言に、私は身体ごと打ち抜かれた。眼を強くつぶって、あふれかえるものをせき止めるしかなかった。

 

私の次男はお腹にいるときに、なんらかの障害をもっていることがすでにわかっていた。私はハイリスク妊婦として入院し、自力で出れなかったわが子は、緊急の帝王切開でなんとか外に出てきた。とりあえず息をしたことを喜んだのもつかの間、子はすぐにNICUに入った。自力でミルクを飲めず、排泄もできなかった。手の甲には点滴の針がさされ、胸には心電図、足にはオキシメーター、鼻からは経管栄養の管が出ていた。管とサージカルテープでぐるぐる巻きになったわが子は、無表情なのに苦しそうで、肌着に描かれたカエルだけが笑っていた。

 

母親らしいことがしたくておっぱいを含ませようとすると、子は弱々しく乳首をくわえて吸いつこうとした。小さくふるえる唇に反応して、張りつめたおっぱいは必死に母乳を出すが、子どもは口元からそれをたらたらとこぼしていた。飲まれなかった乳は子の肌着をよごし、私のズボンをべとべとに濡らした。まるで私の愛が、抱いているこの子に永久に届かないようだった。

 

その日、いつものように授乳に失敗し、いくつもの管を外して子を着替えさせ、飲まれなかったおっぱいを搾乳して、休憩室で食事をしていた。何を食べてもおいしくないのに空腹感だけは強く、私は何かの仇みたいにおにぎりを奥歯でつぶしては飲み込んでいた。その休憩室は、NICUに入院する子の親だけでなく、見舞客も利用する。きちんとした身なりで明るい表情をした夫婦は、すぐに見舞客の方だとわかった。私は背を向けておにぎりをかじり続けた。彼らは一本ずつ甘いコーヒーを買い、背もたれによりかかって、いま見舞ってきたばかりの子について話していた。これから大変だよなあ、自宅介護になるの?なんていう障害だっけ、聞いたことない名前だったな。それにしても。彼らは、ふうとため息をついた。うちの子がああならなくてよかったって思っちゃったよ。

 

一瞬だった。頭よりも先に身体がその言葉を理解した。身体の芯は凍り付くようなのに、耳の先まで紅潮し背中にじわっと汗がひろがった。ああ、障害を持った子は不幸だと、わが子は裁かれているのか。あなたはみんなが引きたくない大はずれのクジを引いたのだと、私は遠回しに言い渡されているのか。私は少しずつ頭で分かっていった。

わが子が、他人にはそんなふうにしか見えないと言うことが、私の胸を深く切り裂いた。

 

次男は1月半でNICUを出たが、この言葉に予告されたように、彼との日々は大変だった。経管栄養のカテーテルをおそるおそる挿管し、母乳を絞ってゆっくり注入する。苦労してお腹に入れても、全部吐いてしまうこともあった。お腹の張りを見て正しいか分からないマッサージをしながらガスを抜いた。病院を出たいま、彼を守れるのは私たちしかいない。ただただもう必死だった。苦しかった。逃げ出したいと泣いたことも一度や二度ではなかった。

 

でも、時というのはありがたいもので、無我夢中のケアを繰り返すなかで、彼はほんの少しずつ成長していった。今日は一度も吐かなかったね、いまちょっとだけ首を持ち上げたよ。あれ、いま目が合った気がする。私たちは彼の持つ困難さにあいかわらず翻弄されてはいたが、でも彼がくれる日々の喜びは、家族を深く温めてくれた。

 

そうして次男はなんとか3歳を迎え、彼のいる生活がすっかりわが家の日常になったころだった。彼の障害に、ヌーナン症候群という診断がついた。特徴的な顔貌、低緊張、全般的な発達の遅滞。コピー用紙に明朝体でプリントされた医学的な所見は、たしかに次男に当てはまった。なるほど。変に納得させられると同時に、なぜか拭いがたい違和感が広がった。ヌーナン症候群じゃないと言いたいわけではない。でも、私たちが3年半身体まるごとで付き合ってきた実感とはなんだかあまりそぐわなかった。

 

だってそこには、こちらを見つめて笑う離れた瞳の愛しさが記されていなかった。階段で大きな頭をぐらぐらと揺すり、それにいちいち心臓を縮ませることも、誤嚥したものを必死にかき出すときの焼けるような焦燥感も記されていなかった。私たちにとっての、彼の障害とはそういうものだった。そのときはじめて、この子と積み重ねてきた日々が、「障害」という言葉に、私たちの汗と涙と体温を通わせたのだとわかった。

 

そう気づいたとき、私はあのときの「ああならなくてよかった」という一言からやっと解放されたような気がした。あの夫婦にとって「障害」は、ただ単に「遅れがある」「健康でない」という冷たい症名としての意味だったのだ。そうした足かせからわが子を遠ざけたいというあの夫婦の気持ちを、私はとがめることなどできない。けれど、次男と過ごした私たちにとって「障害」は、酸いも甘いも苦みも酸味もある味わい深いものに変わったのである。

 

「ヌーナン症候群」。次男と生きる私たちだから、無機質な症名をこの腕で抱きしめることができる。

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うーん。こうしてあらためて読んでみると暗いですね、

私としては、「障害」のある子と生きると「障害」の意味が変わるんですよ、これがまた味わい深いんですよ~!という感じにまとめたかったのです。でもまあ、もちろん苦しいこともあったので、どうしてもそういうトーンがにじんできちゃうのですね。

 

私の感じ方によって、否定されたように感じたり、悲しい気持ちになったりした方がいたら、申し訳ないです。私がこの子と生きる日々を愛しているということが、どなたかひとりにでも伝わればうれしいなと思います。