メアリアン・ウルフ『プルーストとイカ』(インターシフト、2008)を読みました。
一言で言えば
読書や読字において、脳がどのように働くのかを、生物学的に説明しています。
ディスレクシアを主な対象としてます。
個人的に気になったポイント
子どもには、5歳前からお話を読み聞かせよう
- 生後5年間に、お話を読んでもらう経験がどれほどあったかが、後の読字能力を予測する判断材料の一つになる。39
- 子供がそろそろ文字が分かりそうだと思ったら、積極的に子供に手を貸し言葉を教えるべきである。142
特に子どもが幼い頃は、子どもに本を読んでいても、理解してなさそうな気がして、読む気が失せてしまう時があります。でもやはり大事なのですね。
字を読むときの脳の機能は複雑
- 英語中国語日本語では、字を読むときに脳が働く部分は異なっている。99
- ニューロンの軸索のミエリン化は、字を読むことと深く関わる。男児の中にはミエリン化の遅い子供がいる。これが、流暢に読めるようになるのに遅い子供が、女児より男児に多いことの理由となっているかもしれない。144
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流暢に読解できる読み手の脳画像には、情動生活に関わる経路が活発化する。215
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熟達した読み手が文字を理解する時には、一つ一つの文字の形を毎回認識するのではなく、独自の神経回路網をパターン的に始動させる。224
- 人間の進化の観点から言うと、脳は消して文字を読むように作られたわけではない。251
これも実感的によくわかります。ただ文字を読んでいても、それが過去の経験を引き出して、視覚や聴覚や触覚がありありと浮かぶことがあります。文字は表象なので、意味内容に関する部分も発火させるということでしょうか。
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ディスレクシアの脳は、脳の左より右を多用している。276
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ディスレクシアの人は、脳の左側に問題があるために、右側を使わざるを得なくなる。その結果、脳の右側の機能が増強されて、別の才能を発揮する可能性がある295
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文字が読めないということは、能力がないということではない。その子それぞれの潜在能力を見逃してはいけない307
これも、実感的によくわかります。風が吹けば桶屋が儲かる、ではないですが、苦手だと思って別の方法で頑張っていると、ひょんなことが得意になることってあります。
だから読字や読書の経験が、どんな能力の支えになっているかわからない
- ソクラテスは知識を書くことで、人々があたかも知識を理解したように錯覚してしまうことを恐れた。これは、現代のデジタル社会にも当てはまる。コンピューターの前で情報に接すると、その情報をあたかも理解したかのように錯覚してしまう。116
- 文字を丁寧に書き写すという課題は、書き写している間にその単語についてじっくり考える時間を生み出した。それが熟考のプロセスそのものに磨きをかけた。321
私はこれをノートテイクの経験で実感します。私は教育にデジタルを積極的に取り入れたいと考えていますが、ノートテイクについては、簡単にデジタル化してよいものか、迷います。パワーポイントを配布したり、板書を撮影したりすることでは、定着に結びつかない気がしています。
- 小学校4年生の子供達の30から40%は、十分な読解力を備えた流暢な読み手になっていない。206
これも納得できる数字でした。教室には、一定数こうした子がいます。そして、こうした子は、全体的な能力までも低いとは限りません。
感想
一口に「読む」と言っても、日本語なのか中国語なのか、既知のものか未知のものか、どのような脳の構造をもって生まれたか、によって脳の動きは違います。読書や読書の問題は、生物学的な見地からも考える必要があるように感じました。