牧千夏の話したいこと

読んだ本や考えたことを勝手に紹介しています。

あいさつ程度のつながりを届ける_『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』

森川すいめい『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』(青土社2016)を読みました。面白かったところをまとめます。

 

責任問題ではなく、今困っていることを見て即助ける

  • 通常だったら、もしかしたらゴールデンウィーク前に親知らず抜いてくるなんてと怒られたかもしれない。自己管理がなっていない、自業自得だから我慢するしかないと思われるかもしれない。しかし、ここではそういうニュアンスを全く感じなかった。45ページ
  • 困っている人がいたら、今、即、助けなさい」(略)人を助けるにおいて、それまでは動き出す前に考えてしまうことがあった。ここで助けることが本当に本人にとって良いことなのか、ためになることなのかどうかと。その都度悩んだ。しかしこの言葉を聞いてからそれを実践するようにした。そして旅を通じてこの言葉の実践は、自殺希少地域において普通であるということも感じていった。138ページ
  • 私の勤める精神科クリニックでも、即助けに行くことをできるだけしている。(略)私たちはこうすることによって、もしかしたらこれまでならば精神科病院に無理やり入院になっていたかもしれない人たちの多くを在宅にいるままで支援できるようになった。しかもかなり軽くできた。139ページ

「いま助けてもその子のためにならない」教員はやりがちですね(私も身に覚えがありまくりです)。でも確かにそれでほっておいてよい方向に向かった例というのは少ない気がします。

あなたの生き方を知る

特養の中にいる人たちは、全員誰がどこに住んでどういう人生を過ごしてきたかがよく把握されていた。私が別のところで見たいくつかの特養では、病歴はあったとしても生活歴はそこに書かれていない。その人がどういった人生を過ごし、何に価値を持っていて、どのように生きたいのかを知っている職員が少ない。(略)その特養では自分らしく生きられるのである。そうだとしたら抗精神薬を飲む必要のある人などほとんどいなくなる。171ページ

とても同感です。歳を重ねるごとに、どんどんプライベートな話をしなくなるような気がするのですが、それを寂しいと思います。メンタルヘルスに効果的とかそうことというよりも、ふつうに、一緒に働いている人が、近くにいる人が、どう生きてきたか知りたいです。知ることで、その人を好きになって、その人との関係が楽しくなる気がします。

 

わたしで助けられなかったら他の人に相談する

  • 精神的に病むことがあった時、最初は助けても、助けられないくらいに重たいことになると本人を置いてその場から立ち去ってしまう人が少なからずいると言われている。この時助けられないことの言い訳をしたり、それを本人の自己責任だとしたりもする(略)もしかしたらそれは、自分が助けられないと感じた時に他の人に助けを求めることができたならば大きく変化し得る。負担に思う気持ちがずっと減る。99ページ
  • 相手は変えられない、自然は変えられない。変えられるのは自分。だから工夫をしよう。受け入れよう。ありのままを認めよう。そして自分はどうしたいのかを大事にしていく。175ページ

誰かの困っていることで、周りの人が繋がることってありますね。

というかとりあえずしゃべることが大事

  • オープンダイアローグの本質は、困った人を中心に、心配するみんなで集まって、わいわいがやがやしたら多分なんとかなるかもしれないというとても曖昧なケアのスタイルである。(略)内服に関しては、必要ならばというスタンスである。この形は診断と処方を中心とした現代精神医療の効果を凌駕した結果を出している。13ページ
  • 私は、国の「平成の大合併」と呼ばれる市町村合併事業を、メンタルヘルスの視点からは大失敗だったと思っている。人と人との距離は明らかに遠くなった。人を大事にするのは人であり、支えての数は多い方がいい。人を支えるための行動は、効率を重視すれば難しくなる。60ページ

 

問題を防ぐ組織ではなく、問題に対処する組織へ

  • 一方で一方で何かあるのが当然としてこれを解決しようとする組織は変化に対応できる。変化に対応することを主眼とするから、ルールは最小限になる。ルールは機動力を下げると知っているからである。64ページ
  • 問題を防止することに偏る組織は、問題が起こった時に、あんなに起こらないように準備したのにどうして起こったのか?と責任問題に変わっていくどんなに準備しても問題は発生するものだというのに悪者探しが始まりやすくなる。65ページ
  • 行政職員は、少しでも住民のためになるだろうことを考えて実行しようとした。実行する前に住民に説明をしておいてお伺いを立てた。行政側するとよく説明したと思っていた。自分達はよくやっていると思っていた。ところが住民は行政側の苦労も知らずに文句ばかり言うと感じていた。その理由は説明はするけど相談はしないといった話に象徴された。151ページ

新自由主義的な自己責任論の批判はよく聞きますが、でも日常生活では自己責任論の論理はよく耳にします。正直に言って私も学生に言ってしまうし、黙っていても思ってしまうことがあります。でも最近自己管理というのは、努力したらできるという問題でもないように思うことがあります。人は自己管理できないという前提で話を進めた方がよいのかもしれません。

 

感想

恥ずかしながら、私は精神的な疾患に苦しむすべての人を助けたい、という大志はありません。でも、親しい人、学生、顔や名前を知っている程度の人でも、精神的に困っていたら助けたいと普通に思います。私は失敗してもいいからとりあえず声をかけ話を聞くということをしてきましたが、その人の心を軽くしたり、助けられたという実感を得たことはほとんどありません。私のやってることなんかずれているのかな、と思ってきました。

 

自殺希少地域の人々がやっていることは案外自然なことでした。たしかに、困っている人がいたらあれって思って声をかけるし、自分で解決できなかったら、他の人に相談する。いま出会った人がどんなことが好きでどう生きてきたか知りたいし、私のことも知ってもらいたい。

 

でもこの自然なとってなかなかできていないのかもしれません。聞いちゃ悪いかなって思ってしまいますし、私のことなんか話しても面白くないかな、と思ってしまいますから。

あの人の話を聞きたい、私のこと話したいと自然に思う気持ちを、もっと大事にしていいのかなと思いました。